お部屋の中には、色とりどりのバラが、たくさん飾ってありました。
真っ赤な顔をした女の子が、ベッドに寝ていました。
白くてふかふかのおふとんと、花模様の枕カバー。
それから、大きな犬のぬいぐるみや、ベッドの周りのレースのカーテン。
クリーム色の机や椅子。 蒼いドレスのフランス人形。
病気で寝ている女の子の部屋は、とてもかわいらしい部屋でした。
そこに一人の少女が、入ってきました。
淡いピンクのフリルのついたワンピースを着た少女は、見るからに幸せそうな顔をしていました。
「アリスちゃん、だいじょうぶ?」
にっこりしてたずねる少女に、女の子はかすかに目を開けたようでしたが、すぐ眠ってしまいました。
それを見ていた少女は、バラの花びらをしばらくいじっていましたが、音のしないように静かに
部屋を出ていき、ドアをそっと閉めると、まるで歌うように
「ママぁ、アリスちゃん、またねむっちゃったぁ」と叫びました。

女の子の名前は瑠璃子。
九つになるまで、「悲しみ」とか「淋しさ」なんて、ちっとも知らずに育ちました。
小さい時から周りの人にかわいがられ、甘やかされてきた瑠璃子は、当然のことながら人を
いたわることも知りませんでした。
物心ついてから、病気をしたこともなく、妹の恵和(これが「アリス」の本当の名前です)が
病気になったこの三ヶ月も、恵和をかわいそうとは、思わなかったのです。
むしろ、なんでもママにしてもらえる妹がうらやましくて、仕方なかったのです。

このごろ恵和は、前よりもずっと大事にされています。
「今が山場です。心臓の負担がかなり大きくなっていますね。くれぐれも気をつけて下さい」
お医者様が難しい顔をして、ママやパパに話しているのを、瑠璃子は聞いたことがあります。
でも瑠璃子には、なんのことか、よくわかりませんでした。
付きっきりで恵和の世話をしているママを見て、瑠璃子は、自分も病気になりたいと思いました。

ある夕方、瑠璃子は恵和の様子を見に行きました。
昏々と眠っている恵和は、瑠璃子が来たこともわからなかったようです。
ママがいないので、探しに行こうと部屋を出た瑠璃子は、応接間の前で立ち止まりました。
ドアがかすかに開いていて、ママたちがお医者様と話しているのが、ところどころ聞こえました。
「先生…もう恵和は…」
「もう…あまり…」
「でも…あの子はまだ…」
「なんとかがんばりますが…」
ドアのすき間から見える青ざめたママは、とてもきれいでした。
キラキラとほおを伝って落ちる涙も、瑠璃子には不思議な美しいものに過ぎませんでした。
うっとりとママを見ていた瑠璃子は、とぎれとぎれの会話の内容なんて、ちっとも覚えていませんでした。


その夜は、星がとても美しい夜でした。
ベッドで楽しい夢を見ていた瑠璃子は、恵和の容態が急変したことも、お医者様が呼ばれて
恵和が病院に連れて行かれたこともちっとも知りませんでした。
そして明け方近く、とてもとても小さな星がしばらくまたたいて、スッと流れました。

翌日、いつもよりずっと遅く起きた瑠璃子は、楽しい気分のまま恵和の部屋に行きました。
ママのほおを流れた美しい水玉をネックレスにして、恵和と二人で踊ったという夢を
教えてあげようと思ったのです。
ところが、小さなベッドには誰もいません。
家中を探した後、瑠璃子は、居間にぼんやり座っているママに尋ねました。
「ねぇママ? アリスちゃん、どこ? どこにもいないよ?」
「瑠璃子。恵和はね。アリスの国に行っちゃったの。もう戻ってこないの」

やつれて目だけが大きいママの言葉を聞いているうちに
瑠璃子はすべてを理解しました。

あんなに『不思議の国のアリス』が好きだった恵和は
本当にアリスの国に行ってしまったのです。
もう二度と、会うことはできないのです。
大きく見張った瑠璃子の目から、生まれて初めての涙が流れ出し
どうしても止まりませんでした。
瑠璃子は初めて「悲しみ」というものを知りました。
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あれから十年以上たち、大人になった瑠璃子は、時々思うのです。
(アリスはきっと自分の命と引き替えに、私に涙というものを教えて
くれたんだ)と。
そんな時、居間の壁に掛けられた幼いアリスの写真は
瑠璃子に笑顔で答えてくれるのです。
今でも瑠璃子は、花壇いっぱいに咲いているバラに
幼くして去った妹の面影を見つけます。
毎年、恵和が旅立ったその時期になると花開くバラに。